最寄りのお寺さん・・・・安らぎの場に(安穏)

 

観光で駆け巡る著名寺院、葬儀の場で初めて垣間見る導師と言われる僧侶・・・・・

「納棺夫日記」の青木新門氏曰く、

< 「死」は医師が見つめ、「死体」は葬儀屋が見つめ、「死者」は愛する人が見つめ、僧侶は【死も死体も死者もなるべく見ないようにしてお布施をかぞえている・・・>

 

 

 

でも、檀家・近隣の人々との交流に意を尽くそうと努力している僧職の方もおられる。

お墓が遠く京都にあるため、折節のお参りにと近場の武蔵小杉にある「高願寺」をお手次寺と定めた。(墓を置いていないので菩提寺ではない)

その活動の一環は、HPを覗いてみて下さい。http://www.kouganji.net/blog/

 

昨夜、「観月の夕べ】があり、出かけた。朝から太陽の姿皆無の曇天で、雨月にならぬを良しとせねばならないと思いつつ、お寺へ入った。先ずは、お団子にお茶を頂き腹支度にいそしんでいると、空の一点が仄かに白染んできた。定刻が来て、和太鼓が始まると、其の音に雲がすっ飛ばされ、お月様がぽっかりと顔を出したではないか。名月である(十三夜)

和太鼓演奏は、県立鶴見総合高校和太鼓部の面々である。若さを売り物の元気な掛け声で小一時間、お月様と共に鑑賞させてもらった。木立に囲まれた寺の境内でのんびりとした気分に浸れた。昨年は、雅楽であった。来年は、二胡の演奏とのことである。

 

今際の折には、聞きなれた此処の僧侶のお経が聴ければと思う。

 

                                   (百軒)

鶴見総合高校和太鼓の演奏を掲げておく。(命の詩)