援助的コミュニケーションのこと

日本医科大学武蔵小杉病院でのキャンサーボード勉強会で(5/19のブログ参照)、小澤竹俊さんの講演があった。医療者対象の講演ではあったが、がんなどの病に苦しむ人への援助を志す者への身に着けるべきことがらであり、患者サロンなどでの活動にも肯う講演内容であった。この5/19のNHK番組「広がる『じんせいの終わり』支援にも出られていたし、数多くの著作を通じてみなさんがよく知っておられる内容でもあった。しかし、直接にお話しされるのを傾聴する度に、心に沁みるものがあるのが不思議ある。

小澤先生の実践されておられるお考えを理解したつもりでも、個人的には、その実践には困難な壁がある。苦しんでいる人の『苦しみ』を察知し、その人が頼りとしている『支え』を見出すには、こちらの感性が欠かせない。今で云う適応障害的な性格を持っている身には、本音のところが読み取れないのである。早い話が、老老相介護の中で、家人の心情が読み取れなくて、地団駄踏ませる事と相成る次第である。

横浜小鳥の病院 動物病院の海老沢和荘院長さん曰、「小鳥との信頼関係を築くのが大切」とされる。ふと思ったのは、時折我が家に居候に来るコザクラインコ「ピヨ彦」のことである。預かる以上は、

鳥籠に入れておくのが、一番危険が少なくて好都合なのである。でも、籠の中の一生は余りにも可哀想と、放鳥で家の中を自由に行き来させている(単なる甘やかし)。飼育のマニュアルには反する行為である。「ピヨ彦」からすれば、餌は初めからあるので貰ったという有難味もないだろうし、この家は飛び回れるものと思っていて恩義を感じる筋でもなかろう。でも、幾度かの来宅を通じて、小鳥がこちらをよく観察しているのを感じるようになった。食卓の用意ができると必ず卓上にやってきて一緒に自分の餌を啄み、遊び疲れたときは小生の部屋へやってきて掌に乗るのである。長いときは小一時間の微睡みを取り、こちらは何も出来なくなるのである。こんな「ピヨ彦」が、先日二度までも驚かすような事をしてくれた。台所の洗い仕事を終えたとき、気分が悪くなり食卓に伏せた。すると「ピヨ彦」がすぐにやってきて、手を甘噛みをしては耳元で啼き続けたのである、家人が来るまで。あれ!と思った。別の折、自分の部屋で気分が悪くなり、床に寝転がった。すると、暫しあってお気に入りの抽斗に入って遊んでいた「ピヨ彦」が、高みからひょいと貌を覗かせた。すぐにお腹の上に飛び降りてきて、むねのうえに組んだ手を噛むのである。放っておくと、顔の上にやってきて額を噛みだした。動かないでいると、家人が来るまで啼き続けたのでである。

こんな小鳥の感性を見習いたいものだとつくづく思った。           (百軒)