HOSPACと私、その活動の源は…

 峯 直法(前副会長)

 

院内患者会世話人連絡協議会(HosPAC)が誕生したのは、平成18年11月のことであるが、私のそれとの関わり合いは、私が悪性リンパ腫との告知を受けた平成16年1月に遡るのではないかと思う。なぜなら、悪性リンパ腫を患わなければ院内患者会はもとより、平成16年8月に会員となった悪性リンパ腫患者・家族連絡会「グループ・ネクサス」「血液患者コミュニティーももの木」およびその主宰者の田中祐次先生も私にとっては無縁のものであったはずだから。

 

私は、平成16年1月に単身赴任中の大阪の病院で前年の11月に実施した人間ドックの結果などから、自覚症状がないまま突然悪性リンパ腫との告知を受けた。その時の私は悪性リンパ腫についての知識はまったくない状態だったが、医師からの「血液がんの一つ」との説明に、「大変なことになったなぁ、いつまで生きられるのかなぁ、助かるのかなぁ、治るのかなぁ、なぜ自分が、何か悪いことをしたのだろうかなぁ…」と言った様々な思いが激しく心と頭の中を錯綜した。今になって考えれば、これは俗に言う「絶望感」であり「不安感」、さらにはそれまでの人生についての「自責の念」であったと整理ができるのだろう。そんな中で始まった闘病生活、入院中は多くのがん患者がそうであるように「孤独感」や「疎外感」、「無力感」などが襲ってきた。

 

 闘病記「悪性リンパ腫なんて怖くない~直君の悪性リンパ腫格闘記~」の中でも詳しく記したが、これらの「負」の気持ちを解消させてくれたのは、家族や友人などの支えや応援を別にすれば大きく言って次の2つのことである。

 

1つは、告知の際に主治医からの「悪性リンパ腫は血液のがんであるが、今や決して不治の病ではない。完治を目指して一緒にがんばりましょう」との言葉である。今1つは、患者同士の触れ合い、とりわけグループ・ネクサスの仲間や同じ病院で闘病中の仲間との各種の情報交換や交流である。

 

私が、平成18年の秋に虎の門病院で私と同じく骨髄移植をした仲間と院内患者会「ちゃとらclub」を設立し、また、これから院内患者会の設立やおしゃべり会の開催をしようとする方への参考に供するために「院内患者会設立マニュアル」の作成に精魂込めた原動力は、上記のグループ・ネクサスなどの仲間との触れ合いによって得られたたくさんの勇気と元気とパワーにその源がある。

 

私は同じ闘病仲間からこれらのものをたくさん得ることができたからこそ移植関連死の可能性40パーセントともいわれる骨髄移植に伴うリスクや移植時の厳しい無菌室での生活を何とか無事に乗り越えることができたものと考えている。逆に言えば、それがなければ今の私はこの世に存在できていないのではないかとさえ思っている。

 

だからこそ、そのことに大いに感謝するとともに、骨髄移植術施行時の体験を含め、これまでの体験を、後輩患者や他の闘病仲間に伝え、提供したい。そして闘病にあたっての参考にしてもらうための活動をし、多くの恩恵を受けた院内患者会の素晴らしさや必要性を世に中に伝え、全国の病院での設立を促進するための活動をすることは私に与えられた大事な務めであり使命でないかと強く思う。これが患者会活動やマニュアル作成に自分を駆り立てた大きな原動力であり、所以である。

 

現在、私は長年住み慣れた東京を離れ、故郷金沢に終の棲家を見つけ暮らしているが、当地では本年で設立10周年を迎えた金沢大学附属病院の患者などを会員とする「萌の会」の会員として同会の交流会に参加している。交流会では、毎回、新たな出会いと多くの方から勇気と元気とパワーをたくさんもらうことができとても有り難く思っている。

 

HosPACの副会長は、遠く加賀の國へ転居したこともあり、本年5月の総会でお役ご免とさせていただいたが、前記のマニュアルが大いに活用され、全国の病院で院内患者会の設立やおしゃべり会の開催がさらに促進されることを願いつつ、加賀の國にて隠遁生活を行っている今日この頃である。新会長の新井辰雄さん、新副会長の佐藤ゆかりさん、そして全国の病院で世話人をされているすべての皆様方の益々の活躍にエールを送り、HosPACのさらなる発展を心から祈念し、前副会長の立場からの拙稿を閉じることとしたい。

 

平成20年8月吉日
峯 直法